
実家の母が92歳で亡くなったときのことです。父はすでに認知症で判断が難しく、私は一人娘だったこともあり、みとりから通夜・葬儀までをひとりで取り仕切ることになりました。慌ただしさの中で迎えたその時間は、今でもはっきりと思い出されます。
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すべてをひとりで担った葬儀の準備
実家は地方にあり、仏間だけは広かったため、式場は借りず自宅で葬儀をおこなうことにしました。
父は指示ができる状態ではなく、準備や手配はすべて私が担うことに。気持ちの整理が追いつかないまま、それでもやるべきことを一つひとつ進めていきました。
湯灌で見た、見知らぬほどの美しさ
葬儀の前に、湯灌(ゆかん)をおこないました。湯灌とは、亡くなった後にぬるま湯で体を清め、装束を整える儀式で、葬儀社の方が準備してくれます。
温かい湯で体を清めてもらい、お化粧を施された母の姿を見たとき、思わず「誰だろう」と感じるほどでした。それほどまでに穏やかで、整った顔立ちをしていたのです。そこに横たわっていたのは、見慣れているはずの母でありながら、どこか別人のようにも見えました。
母の顔を見て感じたこと
なぜあれほど印象が違って見えたのか、自分でもうまく説明はできません。ただ、ふと「人の表情というのは、その時々の内面が表れるものなのかもしれない」と感じました。
生きている間に見てきた母の表情も、きっとその時々の気持ちがにじみ出ていたのだろうと思います。亡くなった後の穏やかな顔を前にし、そんなことを静かに考えていました。
まとめ
最後に見た母の姿は、とてもきれいでした。「きれいになれてよかったね」と、心の中でそっと声をかけたことを、今でも覚えています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:鶯谷圭子/60代女性・主婦
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年3月)
※一部、AI生成画像を使用しています。
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