
中学生のころ、私はバレー部に所属していました。厳しい練習に耐えながら仲間たちと過ごした日々は、今でも大切な青春の思い出です。しかし、顧問の先生に反発し、「やめます」と言って帰ってしまった翌日、思いも寄らない知らせを受けました。あの日の言葉を謝ることができないまま、先生との別れを迎えることになったのです。
★関連記事:「恩返しのつもりが…」寮の先輩に誘われた説明会。大切な友人を巻き込みかけた話【体験談】
仲間と汗を流したバレー部での日々
バレー部では、毎日のように仲間たちと汗を流し、練習に励んでいました。試合に勝てば一緒に喜び、負ければ涙を流す。部活動に打ち込んだ時間は、私にとって青春そのものでした。
顧問を務めていた男性の先生は、とにかく厳しい人でした。練習があまりにつらく、くじけそうになることもありました。
当時は先生の厳しさを受け止めきれませんでしたが、今振り返ると、私たちを強くしたい、1試合でも多く勝たせたいという思いで、熱心に指導してくれていたのだと思います。
「やめます」と言った翌日に届いた訃報
ある日、先生から厳しく叱られたことで、私はそれまで抱えていた不満を爆発させてしまいました。「やめます!」と言い放ち、そのまま帰ってしまったのです。
ところが翌日、担任の先生から、バレー部の顧問が事故で亡くなったと知らされました。あまりに突然のことで、目の前が真っ暗になるような衝撃を受けました。
その後、私は人生で初めて葬儀に参列しました。周囲の先生や生徒たちは皆、声を上げて泣いていました。しかし、私はあまりの出来事に気持ちが追いつかなかったのか、その場では涙を流すことができませんでした。
仲間と先生を語り、初めてあふれた涙
しばらくたったころ、バレー部の仲間たちと先生のことを話す機会がありました。そのとき、張り詰めていたものが切れたように涙があふれ、止まらなくなりました。「なぜ、あんな態度を取ってしまったのだろう。先生に謝りたい――」。そう願っても、先生が帰ってくることはありません。もう気持ちを伝えられないという現実に、私は打ちのめされました。
もし、もう一度先生に会えるなら、「ごめんなさい」とひと言伝えたいです。ただ、厳しい一方で豪快で懐の大きな先生だったので、「そんなことは気にするな。前を向いて生きろ」と叱られるような気もします。
まとめ
昨日まで元気だった人が、ある日突然いなくなってしまうことがあります。この経験から、感謝や謝罪の気持ちは心の中にしまったままにせず、伝えられるうちに言葉にすることの大切さを感じました。身近な人と過ごせる時間を当たり前だと思わず、今を大切に生きていきたいと思っています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:上田 舞/50代女性・主婦
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年7月)
※一部、AI生成画像を使用しています。
★関連記事:目覚めると、当たり前に感じていた義母の気配がないのは不思議な感じで #頑張り過ぎない介護 340