実父が危篤に…遠距離から駆け付けた病室で私の心が動かされた出来事とは【体験談】

実父が危篤に…遠距離から駆け付けた病室で私の心が動かされた出来事とは【体験談】
実父が危篤に…遠距離から駆け付けた病室で私の心が動かされた出来事とは【体験談】

私の実家は遠く、車でも電車でも片道10時間はかかる距離。実兄も実家の県外に勤めており、80代の父母は2人暮らしでした。しかし2023年に父が肺の病で入院。治療を経て、2024年の春やっと介護施設に入所してほっとしたのもつかの間、2週間後、「お父さんが大変なの!」と母から切羽詰まった声で電話がありました。ついに父と別れのとき? 私に何ができるの? 遠方に住む娘が父危篤の知らせを受けた体験談です。

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父の容体が急変、電話越しに声を掛けながら

2023年、遠方に住む実家の父が倒れそのまま入院。命の危険は回避できたものの、自宅へ戻っての生活はできない状態に。治療の末、なんとか流動食が食べられるようになったので、2024年の春に医療介護のできる施設へ入所しました。しかし落ち着いたかなと思えた矢先、私の携帯電話が鳴りました。実家の母からの電話で、切羽詰まった声が聞こえてきます。

「お父さんが大変なの! 施設から救急搬送されて、今病院! ねえ、声を掛けてあげて! ほらお父さん、娘の声よ、聞こえる?」

電話口の向こうでは、ハアハアと荒い息づかいが聞こえます。私は突然のことに戸惑いつつ、「父さん、聞こえる? ねえ、頑張って!」と電話に向かって声を上げ、頭の中でぐるぐると考えました。
「ついに父との別れのときが来たのかもしれない。いや、まだ父には生きていてほしい。私が今できることって何?」。ともすれば混乱しそうな頭を振りながら、電話の向こうの父に呼びかけ続けました。

しばらくすると、医師や看護師による治療が始まったのか、「あ、今お医者さんが……。はい、じゃあ、ちょっと今はいったん切るからね」と、母からの電話は切れました。

ようやく駆け付けた病室で父は

「父さんが危ないかもしれない」と聞き、私はすぐに実家の隣県に住んでいる実兄に状況を伝えました。「わかった、病院に確認してすぐ向かうよ」。仕事中だった兄ですが、義姉と一緒に夜中には着くとのことでした。私は遠方なので翌朝やっと出発。万が一の場合のことも考え、夫に後から持って来てもらえるよう喪服を準備しておきました。

列車をいくつも乗り継ぎ、ようやく夕方、父の病院に到着。前日夜通し付き添っていた母と兄夫婦が迎えてくれました。父は個室で、点滴を受けながら酸素マスクを着け、ゼイゼイと弱い息をしている状態。熱が高く意識はないようで、「父さん、私が来たよ」と話しかけても苦しそうに眉間に深いシワを寄せ、反応はありませんでした。ただ医師によると、昨夜よりは若干落ち着いているとのことでした。

「今夜は私が付き添うから、母さんと兄さんたちは一度家へ戻って」と疲れの見える母を兄夫婦に頼んで、私ひとりが病室に残ることにしました。父の様子は、ナースセンターのモニターで看護師たちが把握しているとのこと。私は病室に置かれた付き添い用のベッドに座り、たびたび外れかける父の酸素マスクを何度も付け直しながら、一晩中見守りました。

私が感じた無力感、そのとき看護師が

肺の機能が落ち、痰が詰まる父。看護師が頻繁にやって来て酸素マスクを外しておこなう吸引は、呼吸の弱くなっている父にはかなり苦しいようで、のけぞってあえぐ姿は見るのもつらいものでした。
処置の邪魔にならないように部屋の隅に立ち、私は自分の無力を感じていました。「まじめでやさしい父がこの年齢になって、どうしてこんなに苦しまないといけないの? ラクにしてあげたいのに、私には何もできない!」。やるせない思いで手を伸ばし、父の足をさすっていると、ベテラン看護師が声を掛けてくれました。

「ご家族がいらっしゃるだけで心強いものですよ。○○さん、よかったですね、娘さん遠くから来られて」。痰の吸引後でぐったりとした父に反応はありませんでしたが、看護師の言葉は私の心に沁みました。

そういえば痰の吸引後、どの看護師も毎回「吸引つらかったね、○○さん。よく頑張ってくれましたね、ありがとうね」と、反応のない父に、家族でもないのに、本当にやさしく話し掛けていました。
「あぁ、無力だとばかり思い詰めていては父も私も救われない。父の気持ちが安らぐような言葉を掛けよう」と思い直しました。娘の私こそが、今のうちに、間に合ううちに。

まとめ

父の容態の急変に駆けつけたものの、父をラクにしてあげられない私。無力感に襲われたものの、病室での看護の様子や言葉掛けに心を動かされました。父のために私ができることは、まだあるはず。父が娘の私に望むだろうと考え、普段通りの明るい元気な声で話し掛け続けました。

数日後、父はひとまず危機を脱出。ぼんやりと目を開けた父が、かすれ声で私の名をつぶやいたのがわかりました。「まだあといくらか父との時間があるらしい、よかった」とうれしく思いました。とりあえず安定した父を見届け遠方に戻りました。入院中の父に手紙を書いたり、父が昔よく聞いていた歌を電話越しに聞かせたり、以前よりも父と関わる時間を取るようにしています。

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

著者:牧野あさ美/女性・主婦
イラスト/おんたま

※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年6月)

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