私の実家は遠く、車でも電車でも片道10時間はかかる距離。実兄も他県に勤めており、80代の父母は2人で暮らしていました。ところが2023年、肺の持病が悪化した父が入院、寝たきり状態に。体力が落ち、ほとんど声を出せなくなった上、いろいろな反応が薄くなり、意思疎通が難しくなりました。そんな父の元へ遠方から訪れた娘の私が、数日の間に何かできることはないかと思い、父とのコミュニケーションを試みた体験談です。
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病院で寝たきりの父、やりとりが困難に
2024年の春、危篤(きとく)状態にまで陥った父ですが、どうにか持ち直して数カ月がたちました。遠方に住んでいる私は、父のことが気になりながらも、見舞いに通う母に連絡を取ることしかできません。しかし、高齢の母の話ではわかりづらいことも多く、実情が気になるので、思い切って都合をつけて数日帰省することにしました。そして真っ先に父の病室を訪ねました。
元々言葉数の少ない父でしたが、肺の機能を3分の2以上失い、痰の詰まりも頻繁で、声を出すことが本当に難しいとのこと。食べることもできず、寝たきりの状態で痰の吸引や点滴での栄養補給で命をつないでいる状態でした。
「父さんね、たまに目が開いているときに手足をさすってあげると、少し動くの。たぶん応えてくれているんだと思う。家のこととか畑のこととか話しかけると視線が合うときもあるから、聞いてくれているような気はするのよね。でも、どう感じているのか、あまり何も感じていないのか、それはわからないの」。2日に1度見舞っている母は、父の反応の薄さを寂しく感じている様子でした。
父の思いを聞き出す作戦を開始
医師からは、「認知症が進んだこともあって、コミュニケーションが難しくなっている」と聞きました。しかし、看護師さんの呼びかけに応じて体の向きを変えようとするなど、父なりに状況を理解しているように見えます。何らかの方法で、もっと父とコミュニケーションを取れるのではないだろうか。父の思いがあるのなら、聞き出してかなえてあげたい。私が幼かったとき、どうにか私のつたない願いをかなえようと不器用ながら頑張ってくれたこと、私の子どもたちに爺としてやさしく接してくれたこと、父とのさまざまな思い出が頭をよぎります。父の感じていることを知りたいと思いました。
瘦せ衰えた父でも時折腕や手を動かしていたので、私は筆談の可能性を探ってみることにしました。ホームセンターでホワイトボードとボードマーカーを買い、手作りで五十音表も作りました。何か書ければ、あるいは、字を指し示すことで言葉を聞き出せたらと考えたのです。数日しかいられない私は、夢中で用具を準備しました。
けれど同時に、父の思いは知りたいけれど、何が出てくるかわからない怖さも感じていました。母も迷ったような表情で、「動けない父さんが何をどう感じているのか。知らないほうが良いのかもしれないけれどね」と、ぽつりとつぶやいていました。
父が書いた3文字とは
過酷な状況を呪う言葉、苦しさを訴える言葉が出てくるかもしれない。私にできることはほとんどない。けれど、私は父の心を知りたい一心でした。
五十音表を指し示すやり方は父には難しいようだったので、父にボードマーカーを握らせ、小さなホワイトボードを近づけました。「父さんの書きたいことを書いて」と言うと、父は最初、震える手で何か模様を描きました。「これって顔? 自分の顔なの?」と、一緒にいた母と少し笑ってしまいました。すると、父は次にどうやら文字らしいものを書きました。かなり崩れて読みにくかったその文字は、「ヘ・ル・プ」と読めました。私は一瞬固まってしまいました。
父の「ヘルプ」になんと返したら良いのかわからなかったのです。えっ? どうしたら私は父を助けられるの? やっぱり何もできそうにない……。
そのとき、そばにいた母がゆっくり手を伸ばし、父の手を握って言いました。「お父さん、ヘルプなんだね。わかりました。言葉、書けたね。でもねえ、慣れない英語なんて使わなくてもいいのに」
ゆっくり語りかける母の言葉に、父は小さくうなずいたように見えました。私が救われた一瞬でした。父が表現した思いをまずは受け止める。母の言動は、介護者のできることの1つだと、ハッとしました。
まとめ
「ヘルプ」の具体的な意味はわかりません。その後、父は眠る時間が増えて、さらに細かなコミュニケーションを試みることはできませんでした。私も遠方に戻る身で、できることは限られました。私と母は、父の書いた「ヘルプ」を関係者と共有することにしました。父の書いたホワイトボードの文字を看護師さんたちにも見てもらい、また、隣県にいる兄にも文字の画像を送りました。寝たきりで意思を表すことも難しい父。しかし、父は「ヘルプ」と伝えてきた後、ほっとしたようにも見えました。父が送ってくるわずかなメッセージ、その気持ちにまずは寄り添っていこうと家族で話しました。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
監修/菊池大和先生(医療法人ONE きくち総合診療クリニック 理事長・院長)
地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。
著者:森原あさみ/50代女性。平日はお勤め、週末は農業。夫、子ども、義父母と暮らしている。多忙でも趣味やスポーツの時間はなるべくキープ。育児、介護、町の行く末までいろいろ気になる。
イラスト/sawawa
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年8月)
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