
義母が認知症を発症したのは、約4年前のことでした。最初は「物忘れが少し増えたかな」という程度にしか思っていませんでしたが、実際にはそれ以上に深刻な症状が次々と現れ、家族にとって想像を超える日々が始まることになりました。
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最初の異変と衝撃の診断
ある日、義母は自転車で近所のショッピングモールへ出かけました。ところが、帰宅予定の時間になっても戻らず、家族全員が心配で胸がざわつきました。警察に連絡したところ、まったく正反対の地域で義母が保護されていたと知らされました。そのとき初めて、単なる物忘れではない深刻さを実感しました。
その後、義母は自宅の階段で足を踏み外し骨折してしまい、しばらく入院生活を送ることになりました。退院後は、それまで問題なくできていた家事や会話が急激に難しくなり、トイレの失敗も増えていきました。病院で詳しく検査した結果、「前頭側頭型認知症(FTD)」と診断されました。医師からは「進行が比較的早いタイプの認知症」と説明を受け、頭が真っ白になる思いでした。
自宅介護の日々と限界
診断後は、妻と私で自宅での介護を始めました。最初は「家族で頑張ろう」という気持ちでしたが、現実は想像以上に厳しいものでした。義母は夜中に徘徊するようになり、トイレの失敗も頻繁に起きるようになりました。時には便を手に持ってしまうこともあり、私たちは途方に暮れる日々でした。
介護を続ける中で、少しずつ疲労とストレスが積み重なり、やがて夫婦2人だけではどうにもならなくなっていきました。悩んだ末、私たちは施設への入所を決断しました。義母を送り出すとき、胸が締め付けられるような思いでしたが、「これ以上、家族だけで抱え込むのは無理だ」と自分に言い聞かせました。
認知症への理解と気付き
介護を経験する前、私の認知症に対するイメージは「物忘れがひどくなる病気」という程度のものでした。けれど、実際に義母の介護に向き合ってみて、それだけではない現実を知りました。
徘徊やトイレの失敗、感情の起伏の激しさ――想像もしなかった出来事が日常となり、認知症という病気の恐ろしさを痛感しました。
まとめ
今回、初めて認知症介護を体験し、学ぶことばかりの4年間でした。進行が早く、根本的な治療が難しい現実に何度も心が折れそうになりましたが、同時に「家族だけで抱え込まないことの大切さ」も実感しました。認知症は決して物忘れだけの病気ではなく、家族全員が向き合い、支え合う必要がある――そのことを強く心に刻む経験となりました。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:新 智博/40代男性・会社員
イラスト/おんたま
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年9月)
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