「電話に出て…」変わり果てた義父をリビングで発見。身なりを構わなくなった末に訪れた孤独な最期【体験談】

「電話に出て…」変わり果てた義父をリビングで発見。身なりを構わなくなった末に訪れた孤独な最期【体験談】
電話が繋がらず、駆け付けると義父が急死しているところを発見したイメージ

数年前のことです。立て続けに起きた義理の両親の出来事は、今振り返っても胸に重く残っています。どちらも突然で、心の整理が追いつかないまま時間だけが過ぎていきました。

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義母の入院と思いも寄らぬ最期

義理の母は認知症を発症し、自宅で転倒して大腿骨転子部を骨折し、手術と入院をしました。退院後はリハビリ目的で老健施設に入所しましたが、そこで再び転倒し、再手術と再入院となりました。その後、歩行はできなくなったものの、高齢者施設へ転居し、生活するようになりました。

私が介護タクシーの仕事をしていたこともあり、施設探し自体は比較的スムーズに進みました。ただ、寝たきりの状態が長く続いたことで、腰に褥瘡(じょくそう:長時間同じ姿勢で寝たり座ったりすることで、体の一部に圧力がかかり続け、血流が悪くなって皮膚やその下の組織が傷つく状態)ができ、施設側も把握していたものの、症状は悪化していきました。

病院へ転院してから約1カ月後、敗血症(細菌などの感染がきっかけで、体の免疫反応が暴走し、全身に強い炎症が起こる重篤な状態)を発症し、それが原因で亡くなりました。家族にとっては予想もしていない出来事で、ただただ驚きと戸惑いしかありませんでした。

1人暮らしを続けていた義父の変化

義理の父は意識もはっきりしており、これまでに軽い脳梗塞を数回経験していたため、予防のために血液を固まりにくくする薬を処方されていました。

しかし次第に外出がおっくうになり、集合住宅の部屋から出ることも少なくなっていきました。郵便受けにも行かなくなり、髪やひげは伸び放題で、入浴や散髪、ひげ剃りも嫌がるようになり、まるで別人のような風貌になっていきました。

尿失禁もひどく、女性用の尿パッドを使って生活していましたが、量が多く、下着まで濡れてしまうことが多く、毎日何枚もの下着を交換して洗濯する生活が続いていました。私は仕事の合間に、コンビニで弁当を買って届けるようにしていました。

電話に出ない朝と、突然の別れ

ある日、いつものように安否確認の電話をしましたが、義父は出ませんでした。不安になり、急いで自宅を訪ねると、リビングで倒れており、すでに体は冷たくなっていました。

警察と消防に連絡し、医師の死亡確認を受けた後、葬儀社の車で運ばれていきました。あまりに突然の出来事で、現実を受け止めきれないまま時間が過ぎていきました。

その後、葬儀を終え、先祖代々のお墓に埋葬し、ひと区切りついたように感じましたが、突然の死だったため、預金や株式などの情報がわからず、手続きには大変苦労しました。ようやくすべての手続きが終わった後、住んでいたマンションを不動産会社に買い取ってもらいました。

まとめ

すべてが落ち着いたあと、子どもたちは売却の話を喜んでいましたが、私はこの一連の出来事を通して、胸に残るものがありました。義理の父と母の最期は、今も忘れることができません。突然の別れが残すものの大きさを、身をもって知った出来事でした。

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。

監修/菊池大和先生(医療法人ONE きくち総合診療クリニック 理事長・院長)
地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。

著者:森田ジュン/60代男性・自営業

※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年1月)
※一部、AI生成画像を使用しています

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