父が末期がんと診断され、治療ができないと言われてから、私と母や周囲の人たちの連係プレーがスタートしました。でも、生きていた父のためにもっと何かできたのではないかという思いは、今でも私の脳裏をよぎります。
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肺がんと診断された父
私の父は若いころからヘビースモーカーでした。あまり父と相性の良くなかった私は、高校卒業後に実家を出て1人暮らしをしていました。
ある夜、父から電話がかかってきました。ゼイゼイと苦しそうな息をしながら「がんになってもう治らないと医者に言われた。ひと目会っておきたい」と言われ、驚きました。
職場に事情を話して休みを取り、入院している病院へ行って医師から直接病状について説明を受けました。父は末期の肺がんで、すでに転移もしていて手術や積極的な治療ができない状況だと言われました。
母と交代で付き添い
父が入院した病院にはホスピス(死期が迫る患者とその家族の苦痛を最小限にすることを目的とするケア)病棟があり、父はそこに入りたいと希望を出していましたが、なかなか空きがなく、通常の病室で痛みを取る緩和ケアをしてもらうことになりました。
若い看護師さんが担当してくださいましたが、とても親切で終末期医療(末期がんの患者が、残された余命を平穏に過ごせるようにおこなわれるケア)についても勉強されている方で、死を意識すると強い孤独を感じることなど、いろいろ教えてもらいました。
母と私で交代で父のそばに付き添いをすることになり、職場には週に4日出勤する条件で許可してもらいました。父は自分の身の周りを片付けておきたいと、自宅に帰りたいと担当医師にお願いし、数日だけならと許可をもらいました。
最期に間に合わなかった
実家では空気清浄機を買い、父の一時帰宅に備えました。父は身の周りの整理をし、病院に戻りました。それからは、せきで苦しむ様子を見ていられず、痛み止めや睡眠薬などを用意してもらい、私は職場に戻りました。
看護師さんには「もう長くないから、そばに付いていてあげたほうがいいよ」と言われましたが、私はそんなことはないと自分に言い聞かせ、結局それが父との最後になってしまいました。職場で連絡をもらったときは、「(父は)もう病院にはいない」「実家に来るように」と言われ、頭の中が真っ白になりました。
実家では、亡くなった父が寝ていました。私は、最期に間に合わなかったと泣きながら父に謝りました。あのとき、看護師さんの言葉を信じればよかったと悔やみました。自分の思う通りに相手は生きてくれるとは限らないのだと、嫌というほど思い知らされました。
まとめ
父の体の痛みや苦しみを取り除くために、眠る時間が長くなるような薬の処方をお願いしていましたが、今でもあれは正しいことだったのだろうかと思うことも。「死にたくない」と言っていた父は、果たして苦しむことなく人生を終えたのだろうか、もっと何か私ができたことがあったのではと、何年もたった今でも思います。一方で、疎遠だった父のそばに寄り添えてよかったと思うこともあります。
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文/関谷 恵