物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは

物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは
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介護施設や自宅での介護、介護について調べたり、介護を考えるきっかけになったことなどの体験談、マンガ記事をお届けします。

物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは

私は50歳のころ、75歳になる母と小学生の息子と暮らしていました。昔からしっかり者でやさしい母のことが、私は大好きでした。しかし、母はある日を境に急に物忘れが激しくなり病院へ。生活は一変し、私はストレスを感じ始めるようになってしまいました。認知症だと診断された母と私のことをお話しします。

母の介護は私の役目だと思い

物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは
物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは

母の言動に違和感を覚え病院へ

昔からしっかり者で、愛情深い私の母。私が離婚して息子を抱えて帰ってきたときも温かく迎えてくれ、母のやさしさに何度も救われてきました。

母の異変に気付き始めたのは、父が亡くなってから1年たったくらいからでした。ある日、「今日はいい天気だからみんなで出かけようか」と母からの提案がありました。

私と息子と母の3人で出かけようと準備していると、「ピンポーン」とインターホンが鳴りました。私が出ると、母の友人が立っていました。どうやら母は友人と出かける約束をしていたようでした。

母は、予定が入るとすぐにカレンダーへ書き込む習慣があったので、私は「お母さんが約束を忘れるなんて珍しい……」と思いましたが、母も人間です。忘れることは誰にでもあると思い、そのときは気にしませんでした。

しかし、その日を境に、こういったことが多くなったのです。友人と出かけることが大好きだった母ですが、約束しても忘れてしまうことが増え、友人に何度も謝り、覚えていられない自分を責めてつらそうでした。

母は料理が好きだったので、毎日料理を作ってくれていたのですが、料理にも変化が表れ始めます。毎日のように作っていた料理の作り方や材料が、だんだんとわからなくなっていったのです。

約1年の間にどんどん記憶力が低下していく母。これは見ていられないと思い、「病院へ行こう」と母に提案。母もすんなり快諾してくれたので、一緒に病院へ向かいました。

「認知症」と診断された母

病院を受診し、母は「認知症」と診断されました。もしかして……とは思っていましたが、いざ診断されるとショックでした。医師から母と接するときのアドバイスや、デイサービスの利用などの説明を受け、家に帰りました。

私は週に2日のみ生け花講師の仕事をしていたこともあり、母のことは自宅で様子を見ることになりました。

ある日、母は転んで足をけがしてしまいました。筋を痛めたようで足が悪くなり、あっという間にほとんど寝たきり状態に……。

介護施設へ入れることも考えましたが、「今まで母に助けてもらってきた恩を、今度は私が返す番だ」と思い、仕事を辞めて自宅介護に踏み切ります。日中は息子も小学校へ行っていることもあり、母との時間に集中できていました。

介護の本を買い、素人ながらに勉強して母の介護に努めました。

しかし、寝たきり状態になったことで、母の認知症の症状はさらに進んでしまいます。約束していないのに「今日は友人とランチに行くから、準備させてくれる?」と、笑顔で頼む母に、私は胸が痛くなりました。

自宅介護に限界を感じた私

時々幻覚も見え始めた母は、パニックになって叫ぶことも。「母に恩返ししたい」という一心で介護していましたが、息子との時間を十分に取ってあげられないようになってしまいました。そのことが、自宅介護を選択した唯一の後悔です。

息子と話をしていても母がパニックになり叫びだすと、どうしても母を優先しなければなりませんでした。自分の時間は一切なく、息子にも罪悪感を覚えながら介護する日々。

しかし、このときの私は1日を無事に終えることに精一杯で、誰かに頼るという選択肢はありませんでした。

母は認知症が進んでも、私と息子のことは覚えていましたが、友人がお見舞いに家へ訪れても「どなたでしたっけ?」と言うようになりました。友人は母に見えないところで涙を流し、「また来るからね。頑張り過ぎないでね」と私に声をかけてくれて、その後何度も母の顔を見に来てくれました。

時がたつにつれて、母は夜に徘徊するように。母がどこかへ出て行ってしまわないように、私は睡眠時間も削り、寝ていても休んだ気がしない日々が続きました。

そんなとき、家へ訪れた母の友人が私の様子を見て、「自分の母親だからって全部抱え込まなくていいのよ」と言ってくれたのです。母の友人と話をしたことがきっかけで、施設に入れるのではなくデイサービスなどを利用してみることにしました。

利用を始めてから、自分が母の介護をできないという罪悪感はありましたが、ヘルパーさんにその日の母の様子を聞いたり声をかけたりしていただいたおかげで、安心してデイサービスに頼れるように。息子との時間もでき、自分の心にも余裕ができたように感じました。

まとめ

母が認知症と診断されてから約6年。最後は自宅で母を看取りました。母が亡くなってもちろん悲しかったですが、母と向き合える時間を過ごせてよかったと感じました

約6年間の自宅介護生活、どんどん物忘れが激しくなっていく母の世話がしんどいと感じるときもありました。しかし、母とゆっくり向き合えるいい時間だったな、と今は感じています。そして、「自分の親だから」とひとりで抱え込まずに、誰かに頼ることも大切だと母に教えてもらった気がします。

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

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