意識もうろうの父。食べることができなくなった父を前に家族が下した決断は【体験談】

意識もうろうの父。食べることができなくなった父を前に家族が下した決断は【体験談】
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介護施設や自宅での介護、介護について調べたり、介護を考えるきっかけになったことなどの体験談、マンガ記事をお届けします。

意識もうろうの父。食べることができなくなった父を前に家族が下した決断は【体験談】

遠距離にある実家で、父が倒れ緊急入院。嚥下障害(えんげしょうがい)が悪化し、胃ろう(胃に穴を空けてカテーテルを介して直接栄養を摂取する方法)か静脈栄養で栄養補給するか、このまま低栄養状態で様子を見るかという判断を迫られる事態になりました。意識のはっきりしない本人に意思確認はできず、選択は母と兄と私にゆだねられました。日ごろ離れて暮らす家族が話し合った体験談です。

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父が救急搬送、即入院

意識もうろうの父。食べることができなくなった父を前に家族が下した決断は【体験談】

私の実家は遠く、車でも電車でも片道10時間はかかる距離。80代の父と母が2人で暮らしていたのですが、夏の盛りに「夕べ父さんが倒れて緊急入院した」と、私と同じく他県に住んでいる兄から連絡が入りました。

どうにか駆け付けようとしたところ、兄から詳しい情報が入りました。「肺の感染から高熱が出て動けなくなったらしい。命に関わる危機はとりあえず脱したって。仕事の都合がついたから、明日から行ってみる」とのこと。とりあえず実家から3時間ほどの隣県にいる兄が帰省し、母と合流しました。

しかし、新型コロナ感染対策の続く病院では面会が制限されていて、母と兄は数日たっても父と会うことができませんでした。病院からの連絡によると、熱は下がり意識はいくらかあるものの低栄養状態にあり、このままでは回復は難しいとのこと。肺の持病もあるので、いろいろ検査をしているということでした。

家族にゆだねられた決断

意識もうろうの父。食べることができなくなった父を前に家族が下した決断は【体験談】

仕事の都合で自宅に戻った兄と入れ替わるように私が実家に到着すると、「病院からさっき連絡があってね。明日にも家族面談できませんかって」と母。母はかなり疲弊している様子でした。兄は来られず、母も体調が悪かったので、面談には私がひとりで行くことになりました。

病院では、医師から「お父さまは今のままでは栄養を十分にとることができずに衰弱していきます。検査の結果、嚥下(えんげ)に障害があり肺に持病もあるので、今後口から食べるのは危険でしょう。感染症の懸念はありますが、早急に手術して胃へ直接栄養物を入れる穴を作る胃ろうにするか、血管にカテーテルを埋め込んで栄養液を補給する静脈栄養に切り替えるかです」と伝えられ、本人に意向を確認できない状態なので、急ぎ家族で判断してくださいと言われました。

私は実家に戻り、母に聞いた通りを伝えました。そして電話越しの兄も交え、夜遅くまで3人で話し合いました。

父は以前、「母さんの(母の作る)ごはんが食べられなくなったら終わりでいいからな」と話していました。でも、実際そのときを迎えてみて、私たち3人は、食べられなくなってもいいから父には少しでも回復して生きていてほしいと願うばかりでした。ただ、母はため息をつき、じっと考え込んでいました。父の意向を聞かないまま父の体のことを決められないと。

母の苦悩と願いに寄り添う

意識もうろうの父。食べることができなくなった父を前に家族が下した決断は【体験談】

父に会わないまま判断を下すことに抵抗を感じている母に、翌朝私は提案しました。「お父さんに会えるように、病院に頼んでみようか」と。すると母はすっと顔を上げ、強くうなずきました。すぐ病院に、「特別に父に会うことを許可してほしい。治療方針を決めるために必要なのです」と申し入れ、どうにか許可を得ることができました。

病院に着くと、母はベッドで目を閉じる父に呼びかけました。布団の中で痩せ細った父の足をさすりながら、反応のない父に何度も「胃ろうって知ってるよね? 血管から栄養をとる方法もあるんだって。そのどっちかでいい?」「まだ、もう少し頑張ってくれる?」と繰り返しました。

結局、もうろうとしていた父からはっきりした回答を得ることはできませんでした。でも、母は父に会って言葉を掛けたことで決心がついたようです。病院には胃ろうか静脈栄養のうち、可能なほうの措置でお願いしますと伝えました。父なら私たちの「生きていてほしい」という願いを受け入れてくれるだろうと思えました。

まとめ

父はその後、結局カテーテルを埋め込んでの静脈栄養となりました。栄養状態が少し改善して、週1回母が訪れると、呼びかけにうなずく程度には回復することができました。今はこの状態の父を受け入れ可能な介護施設を探している段階です。

今回、遠距離にいて漠然と老親の健康を祈るだけの段階は過ぎたと実感しました。距離はあっても家族で話し合う時間を取ることが大切だと思える体験でした。

文/あさみ

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。

監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)

2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。

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