
昨年末から年始にかけてインフルエンザがわが家でも流行し、2025年は寝正月を送りました。毎年年始のあいさつに行っていた祖母の家にも行けず、ようやく日常を取り戻した1月中旬に突然、兄から父が危篤の連絡が……。そうこうしている間にひとり家に残された祖母のために伯母、叔父が遠方より集まり、家族会議が開かれました。父の遺志と祖母の今後は……。
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父が救急搬送
92歳の祖母は、69歳の父と2人暮らしをしていました。祖母は要介護なのでデイサービスや訪問看護に来てもらうなど支援を受けつつ、父が祖母の介護をしていたのです。ところが、1月中旬に突然兄から父が救急搬送され、HCUという病棟で1週間もつかどうかという連絡がありました。
話を聞くと、持病の肺炎を持っていたところにインフルエンザにかかり、肺炎が悪化してしまったということでした。またま、祖母の訪問看護のために訪れた看護師が、父の容態を見てすぐに救急車を手配してくれたそう。テキパキと携帯電話の履歴から家族に連絡をしてくれ、保険証や必要な着替えなど持たせてくれていました。
父の準備
祖母が家にひとりになるので、当日の夜には遠方から伯母が駆けつけてくれ、次の日には叔父夫婦も到着。父がもういつ何があってもおかしくない状況で、集まった親戚と2人の兄、私を含め家族会議が開かれました。
父は、以前から自分に何かあった場合はこうしてほしいと自分のきょうだいに話していたそうです。その意思を尊重し、私たち子ども皆で家族葬をおこなう段取りを進めることにしました。
病院へは行けるだけ面会に行き、病状が良くはならないことを申告されました。念のため葬儀社、お寺、お花などいつ何があってもすぐ動けるように段取りをしていました。
祖母の介護
父は、入院して6日目で息を引き取りました。段取りをしていたので、あっという間に葬儀が終わりました。今度は介護をしていた父が亡くなったので、祖母の今後をどうするかという家族会議が開かれることに。伯母、叔父がいるので私たち孫世代はできることは協力するけれど、基本的には祖母の意見を尊重することに。
92歳でも、体は介護が必要ですが、認知症などなくしっかり話をしてくれる祖母。とりあえず、伯母が一緒に住んで今後を考えるということになりました。
まとめ
父の介護もいつか必要になるだろうと考えていた矢先、突然の死去。ですが、父は数日間私たちに心の準備と、段取りをする時間をくれました。私たちなりにではありましたが、良い見送りができたのではないかと思います。子どもにはできるだけ迷惑をかけないようにしたいと思うのが、親心なのだと感じた出来事でした。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:松田みさと/40代女性。2004年生まれの長男、2007年生まれの長女、2015年生まれの次女、長男とは15歳差の2019年生まれの次男の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年2月)
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