言語障害の祖母にいら立ち自己嫌悪に…それでも介護を頑張れた理由は【体験談】

言語障害の祖母にいら立ち自己嫌悪に…それでも介護を頑張れた理由は【体験談】
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介護施設や自宅での介護、介護について調べたり、介護を考えるきっかけになったことなどの体験談、マンガ記事をお届けします。

言語障がいの祖母にいら立ち自己嫌悪に…それでも介護を頑張れた理由は【体験談】

祖母が倒れたのは、60代になったばかりのころでした。突然の出来事で、祖母の緊急手術、入院の連絡を受けて急いで病院に駆け付けたときは不安でいっぱいだったのを覚えています。そのときは、祖母の介護で長い期間さまざまな苦労をすることになるとは思ってもいませんでした。

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介護施設に入れない!?

言語障がいの祖母にいら立ち自己嫌悪に…それでも介護を頑張れた理由は【体験談】

祖母が倒れた原因は、脳出血でした。緊急手術をしたものの、祖母には右半身まひと言語障害が残りました。退院後、家庭の事情で祖母には介護施設に入ってもらう予定でしたが、ここで問題が起こりました。田舎だったこともあり、介護施設の数自体が少ないのですが、そのいずれも満員で入所できる状態ではないと言われたからです。入所できない人が順番待ちしているとのことで、ほかの施設を探しながら、その間自宅で祖母の介護をすることになりました。

祖母は要介護4で、自分では日常生活ができない状態でした。具体的には、入浴やトイレ、食事の介助が必要で、リハビリを受けていたものの、支えがなければ立てず、歩けずの状態です。つまり、自宅介護をするとなれば、必ず家族の誰かが1日中付き添う必要があったのです。

両親は共働きだったので、私が介助することが多くなりました。祖母にけがをさせないように、祖母がつらい思いをこれ以上しなくていいようにと、自分なりに気をつかっていたので、心身共にドッと疲れる毎日でした。

お互いにいら立ちが爆発

言語障がいの祖母にいら立ち自己嫌悪に…それでも介護を頑張れた理由は【体験談】

倒れてからの祖母は言語障害があり、何か伝えたくても言葉にできなかったのが最初の試練でした。祖母が何か言っても「あー、うう」と言葉になっておらず、言いたいことを想像しながら動くしかありません。

しかし、それが間違っていると、祖母がかんしゃくを起こします。もっとも、これについては長年介護するうちにお互いに慣れました。祖母の言いたいことがなんとなくわかるようになり、祖母もこちらが間違っているときには首を振って違うことを伝えてくれるようになりました。

自由な時間がないのは、大きなストレスになります。ある日、疲れきった私は祖母の要求につい怒ってしまいました。その日はほかの家族もいたのですが、誰も積極的に介助をしないのでそれにいら立ったからです。祖母は泣きながら私に頭を下げて「お願い」と伝えてきて、それを見て私も自己嫌悪に……。これは今でも胸が痛む後悔として残っています。

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