「介護施設選びの体験談」を読んでいると、それぞれの家族にそれぞれの苦悩や葛藤を感じます。その多くは、「介護は家族がするもの」「できるなら自分で介護をしたかった」という思いから、ご家族を施設に入れたことを後悔したり、ご自分を責める気持ちが根底になっているようです。親はいつまでも元気なものと思っていても(実際にはそう思っていたい)、年齢は誰もが公平に重ねるもの、覚悟ができないうちに、突然、介護や介護施設選びは訪れます。
実際に、介護施設は多くのかたにとっての終のすみかになる可能性があります。であるなら、その場所で、当事者もそして家族も「納得できる最期」を迎えたいもの。千葉県八千代市で在宅療養支援診療所を開業、在宅医療専門医としてこれまで800人以上の最期に立ち会って来た中村明澄先生は、「生き方に正解がないように、逝き方にも正解はないが、ご本人と残される人たちにとっての『ベスト』はある」と言います。中村先生の著書『「在宅死」という選択――納得できる最期のために』(大和書房)(※)から、「納得できる最期」について考えます。
本記事は『「在宅死」という選択――納得できる最期のために』(大和書房)(※)の一部を抜粋、再編集しています。
「納得いく最期」を迎えるための11の条件
条件6「本人と家族・身内で、できるだけ隠し事はしない」
■ 「本人が可哀想」は本当か?
本人に病気のことを話すのは可哀想だとおっしゃるご家族もいらっしゃいます。で
も本当にそうでしょうか? もちろん、なかには「何も知らないでぽっくり逝きたい」
と言う方もいますが、身内や家族のあいだで隠し事があると、のちのちの不和の原因
になります。
条件1でもお伝えしましたが、病状の段階の正しい理解をふまえた選択こそが、納
得のいく最期につながります。
治るのか、治らないのかを知っているかどうかの違いだけでも、ご本人の意思決定
は大きく変わるはずです。ご本人が治ると信じていたら、つらくても病院で治療して
元気になって帰ってきたいと思うでしょうし、こんな生活が何年も続くのなら家族に
負担をかけるから入院したほうがいいと判断するかもしれません。
でも「治らない」とわかっていれば、選択は違うものになるでしょう。
ご本人を心配して病状を伏せておきたくなる気持ちもわかりますが、そのせいで互
いに言いたいことが言えないまま最期を迎えてしまうことにもなりかねません。
「もうすぐよくなる。よくなったら○○しようね」というごまかしの励ましも悲し
いものです。「こんなはずじゃなかった」という後悔をできるだけ残さないためにも
ご本人とご家族のあいだで、できるだけ隠し事をしないのが鉄則です。
■ 隠し事で信頼関係が台無しに
ごまかしの励ましは、実際ご本人にも伝わってしまうことが多いです。さらに、「治
してもらえると思っているのに、ぜんぜん回復しない」という状況では、医療者との
信頼関係も壊れてしまいます。
「なんで治らないの、どうして?」「嘘ついてるの?」と悲しいやりとりが続くこ
とになってしまいます。
痛みを緩和する、つらくないように過ごせる治療はできたとしても、元気に動ける
ように回復していくための治療はなく、少しずつ病気が進んでしまうというときには、
きちんとご本人にも伝え、隠さないほうがいいと私は思っています。
本記事は『「在宅死」という選択――納得できる最期のために』(※)の一部を抜粋、再編集しています。(大和書房)
医療法人社団澄乃会理事長。向日葵クリニック院長。在宅医療専門医・家庭医療専門医・緩和医療認定医。
2000年東京女子医科大学卒業。
2011年より在宅医療に従事。
2012年8月に千葉市のクリニックを承継し、2017年11月に千葉県八千代市に向日葵クリニックとして移転。
向日葵ナースステーション(訪問看護ステーション)・メディカルホーKuKuRu(緩和ケアの専門施設)を併設し、地域の高齢者医療と緩和ケアに力を注いでいる。
病院、特別支援学校、高齢者の福祉施設などで、ミュージカルの上演を通して楽しい時間を届けるNPO法人キャトル・リーフ理事長としても活躍。