叔母が有料老人ホームに入って、楽になるかと思っていましたが、「風邪をひかれました」「熱が出ました」「転びました」というような電話が度々かかってきます。ホーム(多くの場合はホーム長)にとっては家族への報告は仕事ですし、万が一の際の責任の所在をはっきりさせるためにも必要なルールであったことは、今になってみればたやすく理解できます。
負の連鎖から戦闘態勢へ
しかし当事者真っ只中の私は、電話が来るたびに、腹を立て、「こんなにことで電話をかけて来るなんて」「こんなにお金を払っているのにちっとも楽にならない」などという思いが頭の中を巡りました。
負の連鎖とはよく言ったもので、当時の私は、何を言われても何をしてもらっても、不信感が膨らむ一方。感謝の気持ちなど、これっぽっちも持てず、完全に戦闘態勢でした。
そんな私でも、ホームにとって客であることに変わりありませんから、返ってくる言葉は、「申し訳ございません」だけ。それにまたを腹を立てる悪循環。もうホーム(長)は敵、戦う相手でしかありませんでした。
そんな日が3年くらい続いたでしょうか……。
ある日、申し訳なさそうにホーム長から電話がありました。
「おばさまがこの数日何も召し上がらなくなりました。水分も取れないのでドクターが対応を相談したいと言っているので、来ていただけますか?」
正直なところ、「またか」と思いながら、叔母の好きなプリンを持ってホームに向かいました。
「●●さん、映美さんがプリンを持って来てくれましたよ。食べましょうね」
そう言って、スプーンに乗せたプリンを口元に運びますが、口を真一文字に結んで食べようとしません。食べられないというより、意思を持って「食べない」ように感じました。
「もう胃ろうにするしか生き延びる手段はないと思うが、とりあえず入院して、栄養補給をしながら様子を見ては?」というドクターの言葉ですぐに入院することになりました。
昨日の敵は共に闘う同志へ
しかし、入院しても「食べる」行為そのものを受け付けない叔母の状況は変わりません。入院して3日経ち、4日経ち、担当の若いドクターからびっくりするような発言がありました。
「『胃ろうにする』と付き合いのあるホームのドクターが言うから仕方なく受け入れた。ベッドもいっぱいだから、何もせずにここに置いておくことはできない」
(え!? 何を言っているの?)と、混乱している私の横から
「もう結構です。●●さんは連れて返って私たちが責任を持って介護します。映美さん、それでよろしいですね」とホーム長がものすごい剣幕で言ってくれました。
いつもどんなに私が文句を言っても、「申し訳ありません」と弱々しく答えていた同じ人とは思えないような、はっきりとした、決して言い返すことのできないような、威厳のある対応でした。
それまで私にとって敵でしかなかったホーム長が、叔母のために一緒に戦ってくれる同志に変わりました。それ以降は、ホームのスタッフも巻き込んで、叔母のために「今」できることを考えるチームを組んで、話し合いを重ねる日々が始まりました。
そのときから、何をしてもわかりあえなかったホーム長が、私の一番の相談相手に変わりました。(ライター奏多映美)
※入居時点の情報であり、あくまでも個人の感想です。