大腿骨を骨折して入院、そのまま老人ホームに入居した叔母。入居して何年かは会うたびに「家に帰りたい」と泣いていました。長く働いたお金で購入・リフォームしたマンションには愛着もあったのだと思います。結局、一度だけ、スタッフに付き添ってもらってマンションに帰り、自分のお気に入りの洋服や本、写真などを持ってホームに戻って来ました。それからは、満足したのか、あきらめたのか、「家に帰りたい」と言うことはなくなりました。
こんなところは嫌だ。家に帰りたい
部屋を片付けられない、お金を管理できない……、ひとりで生活するのがだんだん難しくなって来たなと思い始めた頃、出先で大腿骨を骨折し病院に入院した叔母。残念ながら退院後にそれまで暮らしていたマンションに戻って一人暮らしをするという選択肢はありませんでした。
散々話をして、入院中に見学し、一度は納得して入居したはずでしたが、長く一人暮らしを満喫していた叔母にとって、老人ホームでの生活は納得できないこともたくさんあったのだと思います。
例えば、「夜中に知らない人が部屋に入って来た」「外食できない」「自由に外出できない」「お風呂に毎日入れない」。何より、規則で、お財布もクレジットカードも持てないことには強い不満を感じていたようです。
好きなことを好きなタイミングで暮らせる生活から、朝起きてから寝るまで、スケジュールも、食事のメニューも決められた生活に不満を感じていたのは仕方がないことかもしれません。
毎日のように電話をかけてきて、「こんなところは嫌だ。家に帰りたい」と泣く叔母を、当時はかわいそうだと思うより、疎ましく感じていたのも本当です。当時は、仕事も忙しく、自分の生活にいっぱいで、叔母の恐怖や不安、不満に思いを及ばすなどできませんでした。数少ない身内の一人として、もっとできることはあったろうと思っても、今はもう後の祭りです。
家族のように接してくれたスタッフのおかげで
そんななか、叔母にとっての救いは、優しいスタッフが寄り添ってくれていたことです。遠くの身内より近くの他人とはよく言ったものだなぁと思います。
「眠れない」といえば眠るまで話し相手になってくれたこともあったようです。お金を自由に使えない叔母を近くのコンビニに誘って買い物をさせてくれたり、「ホームのご飯を食べたくない」と言えば一緒にピザを食べに行ったり、家族のように接してくれました。
「家に帰りたい」と私に言えば怒られることをわかっていた叔母は、スタッフに「家に帰りたい」と繰り返していたようです。あるときホーム長を経由して「おばさまをご自宅にお連れしても良いですか?」と連絡がありました。もちろん、連れていけないことに後ろめたさを感じていた私に断る理由はありません。
マンションで一日ゆったり過ごした叔母は、持ち帰った洋服やアクセサリーを身に付けて、とてもうれしそうにしていたのを覚えています。この後は「家に帰りたい」と泣くことはなくなりました。
これをきっかけに少し前向きな気持ちになれたのか、短い間ではありましたが、老人ホームに近いパソコン教室に通って自分の撮った写真を使ってハガキを印刷し、部屋に飾ったり、仲の良い友人に手紙を出したりしていました。(ライター奏多映美)
※入居時点の情報であり、あくまでも個人の感想です。
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