認知症の叔母と老人ホームとVol1<それは突然やってきた>【オリジナルコラム】

認知症の叔母と老人ホームとVol1<それは突然やってきた>【オリジナルコラム】
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介護体験や思いなど、さまざまな立場の人の介護にまつわるコラムをお届けします。

高齢化、少子化に加えて、生涯未婚率も伸び続けている日本。親だけでなく、未婚の伯父・叔父、伯母・叔母を介護する人は間違いなく増えています。

私の叔母も生涯独身。銀行員として定年まで勤め上げ、悠々自適に暮らしていました。「歳をとったら私の面倒を見てね」という元気な頃の叔母との約束から、老人ホーム入居時の保証人になった私。

老人ホームに入り亡くなるまでの10年。
認知症になり刻々と変化していく叔母のこと、細々なホームとのやりとり、命の選択など、本当にいろいろなことがありました。

私のささやかな、でもしんどいこれらの経験が、少しでもどなたかのお役に立てればと、この連載を始めることにしました。

えっ!? ゴミ屋敷?

それは突然のことでした。「全財産(通帳、貸し金庫の鍵、クレジットカードなど)を入れたバッグをバスの中に置き忘れた」と叔母からの連絡。
周りがカードを止めたり、警察に連絡したり、必死に対応している中、「そんなに怒らないでよぉ」と、本人はいたってケロリとしています。そして、いくら話しても何かとかみ合いません。そのとき叔母はまだ70歳になったばかり。まさか、認知症がヒタヒタと忍び寄ってきているなんて思いもよりませんでした。

しかしそれからも異変は続きます。病院に付き添ってほしいという叔母と待ち合わせをしていたのですが、時間になっても姿を現しません。マンションの部屋を訪ねると……。そこはテレビで見たことのあるようなゴミ屋敷と化していました。その中で当の本人は「カツラがうまく付けられない」と半べそをかいています。私はショックな気持ちを抑えて、なんとか叔母をなだめ病院に送り届け、マンションに戻ってはみたものの、何をどうしていいのかわかりません。
とりあえずキッチンに散乱した生ゴミだけは捨てて、区役所に電話しました。

繋がれたのは高齢者支援課です。叔母の状況を話すと、「高齢者家事援助サービス」が受けられるのではないかとのこと。翌日には担当者が訪問してくれました。その時点ではまだ介護認定を受けていませんでしたが、その状況から「一緒に片付けてくれるヘルパーさん」を週に2時間、派遣してもらえることになりました。並行して、介護申請の手続きも始めました。

利用したサービスはこちら

当時の叔母は、すでに家事ができなくなっていたようです。だから洋服が汚れると新しい洋服(下着も)を買って着替えたり、高価な化粧品やカツラを次から次へと購入したりしていたようです。お店に行けば店員さんが優しくしてくれるので、また高価なものを買ってしまう。高額なカツラの請求額を見せられたときには、言葉がありませんでした。

大腿骨骨折で入院。認知症はますます……

そしてある日のこと。私の仕事先に「叔母が買い物に出かけたスーパーで転んだから、様子を見に行ってほしい」と父から連絡がありました。「大したことはないだろう」と仕事を終えてからマンションを訪ねると、真っ暗な部屋のベッドの上に叔母が座っていました。父から電話があってから6時間以上経っていました。

「どうして電気をつけないの?」と聞くと、「だって痛いのよ」。とりあえず、急患で診てくれる病院を探そうと、何軒も病院に電話しましたが、どこも「明日の朝、外来に来てください」と言われるだけ。ようやく「来てもいいけれど、入院はできませんよ」という病院にたどり着きました。

痛がって立てない叔母をなんとか車に乗せ病院まで連れて行くと、なんと大腿骨が折れていました。もちろんすぐに入院です。原因がわかってとりあえずホッと胸をなでおろしましたが、翌朝には、なぜ自分が病院にいるかもわからなくなって混乱するなど、入院したことで叔母の認知症状は急激に進みました。退院後に一人で暮らすのはもう無理ねと家族で話して、老人ホーム探しを始めました。

どんどん自分が壊れていく恐怖と戦っていただろう叔母の気持ちを考えると、申し訳なく、かわいそうなことをしたなと今なら思えますが、当時の私は叔母の奇行やおかしな発言の一つずつに腹を立てていました。(ライター奏多映美)

※入居時点の情報であり、あくまでも個人の感想です。

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