“ダブルケア”という言葉を聞いたことがあるでしょうか。厚生労働省によると「晩婚化・晩産化等を背景に、育児期にある者(世帯)が、親の介護も同時に担う」こととなっています。また、平成28年度の調査では日本国内で約25万人いるという報告もありました。
私がこの言葉を知ったのも、実際に自分自身がその立場になってから。子どもが小学校に入学した頃から、20分ほど離れた実家に住んでいる母親の介護が始まりました。
訪問リハビリの始まり
母は週に2回、実家の隣駅にある心療内科専門クリニックが運営する訪問看護ステーションを利用して、リハビリサービスを受けることになりました。
vol4 「介護サービスはネットで評判が検索できない!?」では、訪問介護サービス業者選びの難しさについて触れましたが、結局、ネット検索で「杉並区 パーキンソン病 訪問リハビリ」と入力して最初にヒットした事業所に安易に決めてしまいました。
ホームページのクオリティも良く、職員の方たちがにこやかに収まっている写真も決め手になりましたが、転職サイトなどと同様、ネットに出ている情報が必ずしも正しい姿を伝えているわけではないことを、後で思い知ることになります。
しかし、そのときにはとにかく毎週、自宅に看護士や理学療法士さんが家に来て、母の心身の不調、不安を聞いてくれ、専門家の見地からのアドバイスを受けられることになり、父も私も安堵していました。
「訪問看護サービス」という相談相手ができた
看護士さんも理学療法士さんも女性で固定メンバーのチームが組まれました。
通常、訪問看護サービスは、主治医の指示の下に内容が組まれ、医師と連携して活動します。その内容は多岐にわたり、医療的なケアや身体的・精神的な看護はもとより、入退院(入所・退所)についての相談、家族等介護者の相談・助言、看取りにまつわることなどもサービスの内容に含まれています。
母の場合、当時通院していた神経内科の主治医が、こちらで選んだ訪問看護ステーションと連携する仕組みでした。訪問時にはレポートを記入し、毎月訪問看護ステーションから主治医に送られるという説明を受けました。
しかし、診察の際に、主治医から訪問看護サービスについて言及されることはなく、私たちの感覚では「まったく別物」という受け止め方でした。
当時、母はまだパーキンソン病の典型的な症状といわれる意識しない身体の震えや、すくみ足といった顕著な症状もなく、どちらかというと薬の服用に対する不安や今後の病状に関する心配などを相談する相手を必要としていました。
段取りを考えて料理をすることができなくなってはいたものの、洗い物や洗濯物を干すなどの家事は普通にこなしていましたし、パッと見、介護が必要な状態には見えないくらいでした。
しかし、もともと心配性な性格だったのが、身体の不調から難病患者という診断を得てより一層その傾向が強まり、昼夜かまわずかかってくる母からの電話(内容はたいてい、「今日は足が痛いんだけど大丈夫かしら?」「薬を飲むのが30分遅れたんだけど大丈夫かしら?」といった心配事です)に閉口していた私は、訪問看護の利用が始まって、その負担が軽減され、喜んでいました。
訪問する看護士さんや理学療法士さんの顔ぶれも固まってきて、母もだいぶ慣れてきたこともあり、特に成人した娘を抱える看護士さんとは意気投合して、長時間にわたって話し込むこともしばしばあるくらいでした。
当初、入れ代わり立ち代わり他人が自宅に来ることをあまり好ましく思っていなかった父も、始終不安や愚痴を口にしている母と二人きりで向き合うことから解放される時間ができたことで、少し気持ちにゆとりもでき、しばらくは落ち着いた状態が続いていました。
しかし、次第に新たな問題が見えてきたのです……。
「甘やかしてはいけない」という専門家のアドバイス
母は、私を妊娠したことをきっかけに仕事を辞め、その後専業主婦でのほほんとした生活を送ってきました。
子どもの反抗期や進学の問題、両親との死別、相続問題など、どこの家庭にもある小さなトラブルの経験はあるものの、姑も早くに他界し、仕事と家庭の両立に悩むような苦労をしたことがありませんでした。
だから、パーキンソン病という難病にかかったことが、母にとって初めてというくらいの困難でした。
そんな母が口にするくどくどとした不安症状の訴えが、訪問の看護士さんには「甘え」に映った部分があったのでしょう。同性ということもあり、時に厳しく叱咤激励をする場面が増えてきたのです。
しばらくかかってこなかった母からの電話が、また増えてきて「看護士さんが厳しいことを言う」「リハビリの人が冷たい」などと訴えるようになりました。最初は聞き流していましたが、一度会ってみたほうがいいだろうと、実家で看護士さんに相対することにしました。
ベテランで、パーキンソン病の患者さんを何人も抱えていると話す看護士は「お父さんが家事をやりすぎです。週末に料理を作って持ってきたり、お母さんのためと、家事やあれこれを手伝わないでほしい。この病気は運動も大事だから、気持ちを外に向けるように、毎日必ず散歩に出るようにしたほうがいいと思います」などとテキパキとした口調でアドバイスします。
そこには「主治医の先生の指示書にもあるように」などといった言葉はなかったのですが、当時は専門家の言うことだから聞かなくてはと、むしろこれまで良かれと、作り置き料理などを持って行っていたことを反省し、母にも「できることは自分でしないと! 甘えちゃだめだよ」と厳しく言うようになりました。
異変
看護士さんのアドバイスどおり、父が母を連れ出す形で毎日徒歩15分くらいの駅までの道を往復歩いて買い物に行くようにしたり、父も母の日常生活をできるだけ「手伝わない」ようにしたりしていました。
理学療法士さんによるリハビリも負荷がかかる内容に少しずつ変わっていき、翌日は「足が痛い」とよくこぼしていました。また、愚痴や不安をこぼしては看護師さんに叱られて「私は本当にダメなんだわ」と落ち込むことも増えていました。
そして季節は冬になり、寒くなって、外出がおっくうになってきたこともあったかもしれませんが、着替えて外に行くのを嫌がるようにもなっていきました。
毎年台所に立って作っていたお節料理もまったく作れず迎えた年明け、突然母の身体に異変が起きました。
朝、起きたら魔法使いのおばあさんのように腰が90度に曲がっていたのです。
そのときには痛みもそんなにひどくなく、驚いた父の連絡を受けて来た理学療法士さんも「寒さのせいじゃないですか」「パーキンソン患者さんの腰曲がりは珍しいことじゃないです」と言ったため、病院の受診をすることもなく、これまでどおり在宅で訪問看護サービスを受けて様子を見ることにしました。
理学療法士さんは、腰曲がりは早めに対処すればもとに戻るとの考えから、「とにかく歩いてください。運動が足りないからです」と主張してきました。
父は几帳面な性格から、「言うことを聞かねば」と様相が変わって外出をさらに嫌がる母の手を引いて、無理やり1時間ほど散歩するなど頑張っていました。
しかし、歩いて帰ってくると、母の腰から足にかけての痛みはひどくなるようで、私にも泣き言をいうようになりました。
本当にこれでいいの?
今でも忘れられない風景があります。
1月、寒風吹きすさぶ夕方でした。その日も「散歩に行きたくない」という母に手を焼いた父が私に母を連れ出すように頼んできたのです。
90度腰が曲がった母は着替えるのも大変そうでしたが「手伝ってはいけない」という看護士さんのアドバイスを思い出して、できるだけ手を貸さず、母と外に出ました。
一緒に歩いてみて驚いたのは、母が止まれなくなっていたことです。歩き出してしまうと勝手にどんどんフラフラと足が進んでしまうようで、「止まれない、止まれない」と叫んで電柱にしがみついたりするのです。
最初はふざけているのかと思ったくらいの異様な行動に、私も驚きひるんでしまったのですが、「歩かないと直らないよ、頑張ろう!」と母の手を引いて行きました。
10分ほどそんな状態で歩いたときでした。うまく止まれず、電柱にぶつかってしまった母が涙をこぼしていました。「辛い、もう死にたい」と。
そして本当にそこから動かなくなってしまったのです。
当時は痩せて40キロ少しくらいしか体重がなかった母ですが、そうはいっても抱えて行くには重すぎるし、家の周りは住宅街でタクシーも通りません。
本当にこのままこの寒空の下、どうしようと途方に暮れた私もつい感情的になって「そんなこと言わないで! 歩いてよ!」と怒鳴ってしまいました。そのときの母の情けなさそうな、悲しそうな表情は今でも忘れられません。
結局、なんとか母を抱えて帰宅したのですが、玄関に座り込んでしまって、しばらく二人で動けないくらいでした。
父もこのところの母の消耗ぶりを見て「本当にこんなに運動して大丈夫なのか」と疑問に思ってきたようでした。
■著者の体験による個人の考えを記事にしています。
参考:訪問看護とは?~支援内容・費用など ~(JVNF 公益財団法人 日本訪問看護財団)
作家と書籍の広報PRの仕事をしています。40歳で出産し、小学校に通う子どもが一人います。パーキンソン病で要介護4の母、80歳になる父を週末介護しています。