気ままな一人暮らしから一転して、たくさんの人に囲まれた老人ホームでの生活に、戸惑ったのは叔母だけではありません。ホームに入居さえできれば認知症が進んだ叔母の心配から解放されると思っていた私にとっても驚きの連続でした。
老人ホームに入居したら家族は楽になれる!?
最初に辟易としたのはホームからの電話。「つまずかれました」「熱を出しました」。当時、会社勤務をしていた私にとっては、会議中でも、仕事に集中している最中でも、電話がかかってきます。繁忙期で忙しい時期の電話に「なんでこんな時間に電話してくるの?」とイライラはつのるばかり、今考えると随分失礼な応対をしていたと思います。
一番悩んだのは、ホーム長との関係です。叔母が入居していた老人ホームは、一般企業が経営していたので、ホーム長をはじめとするスタッフには転勤があります。叔母が入居していた約7年間にホーム長は3人交代しました。その度にようやく築けた信頼関係が0ベースに戻ってしまうのは正直しんどかったです。
最初のうちは、ホーム長からの電話にカッとすることもありました。でも、感情的になってもシコリが残るだけで、叔母の置かれた環境が良くなるわけではないことに気づき、どうしても納得ができないときは、後から「言った」「言わない」などで争うことのないように、担当の事業部長さんなど第三者に立ち会ってもらったうえで話し合うようにしました。
そうしているうちに、だんだんとホームとの距離感をつかめるようになり、何かが起こっても、「ここは我慢できる」「ここは改善してほしいから話し合おう」と整理ができるようにもなりました。なんて偉そうに書いていますが、実際にちゃんと腹を割って話せるようになるまで3年以上はかかったような気がします。
少しずつ進む認知症。攻撃されたり、怒鳴り返したり。
さて叔母といえば、老人ホームに入居した当時は、認知症が進んで来たとはいえ、いわゆるまだらでしたから、パソコン教室に通ったり、近くのレストランに食事に出かけたりもしていました。入居するまでは、もちろんお金の管理も自分でしていましたから、ホームの規則で原則的に手元にお金を持っていられないことにかなり苛立ちや不安を抱えていたようです。
しかしこのまだらな時期は、本人にとっても自分の認知症が進んでいくことの恐怖から、汚い言葉で人をののしったり、お金を盗ったと攻撃したりする場面も多くなりました。そして、その矛先は数少ない家族に向けられます。叔母の攻撃に腹を立て怒鳴ることもありました。今考えるとかわいそうなことをしたなと思いますが、当時の私にはそれを理解しようという気持ちの余裕はありませんでした。
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また、入居者の平均年齢が85歳を過ぎていたこと、また多かれ少なかれ認知症の症状がある人が多かったこともあり、なかなか仲良くできる人が見つからず、よく「知らない人が突然部屋に入ってきた」「あの人と同じテーブルで食事をしたくない」など、言っていました。幸いなことに気の合う友達が見つかりましたが、今度はその人と同じ階に移動したいと言い出し、また大騒ぎです。
もう一つ困ったのは、「家に帰りたい」とたびたび泣かれたことです。結局、老人ホームでの生活が思った以上に長くなり、叔母の住んでいたマンションを賃貸に出すことになった時に、叔母が心を許していたスタッフが、叔母をマンションに連れて行ってくれました。長い時間をかけて、ホームに持ち帰るものを選び叔母も安心したようで、それからは「帰りたい」ということも少なくなった気がします。
晩年、「私は●●に住んでいたのよ」という叔母に、「私も●●に住んでいますよ」と答えると、もう私が姪だとはわかっていませんでしたが、うれしそうに「そうなのね」とうなずいていたことを覚えています。(ライター奏多映美)
※入居時点の情報であり、あくまでも個人の感想です。
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