はじまりは仕事中の弟からの電話だった。
「姉貴! すぐにお母ちゃんに電話してくれ!」
「お母ちゃん、なんだかパニックになって騒いでるんだけど…
頭を割られるとか言ってて……」
「はあ?」「なにそれ?」
あわてて母に電話してもラチが開かず、急ぎ実家へ向かった。
話を聞いてみると、友達から勧められた物忘れ外来に行き、「次回、MRIを撮ります。頭の断面を撮影します」という医師の言葉を頭を割って中を見る」と勘違い。怖くなって、仕事中の弟に電話をした、ということらしい。
どうしてそういう発想になる? なぜ物忘れ外来? 私の頭の中もグルグル。
頭の回転も早く努力家。突然の母の変化に驚く
そのときまで、母の様子がおかしいなんて全く気が付かなかった。
月に1回は会っていたし、週に何度も電話していたけど、「おかしい」と思ったことは一度もない。
でも、その時の母は、完全に理性を失い駄々っ子のようだった。
もともと、頭の回転も早く、努力家。とても気が利くし気もよく遣う。
自分のことより家族を優先する、典型的な良い母。自宅で洋裁の仕事をバリバリしていて、ガッツリ稼いで。
趣味の水泳では、週に3〜4回通って、70歳まで2000m泳ぎ、ダイビングクラスも。
「私も75歳になったから、ノンストップで1000泳ぐのはやめるわ」。
「ええええ! なにそれ??」。
75歳までノンストップで1000m泳いでたという母に私はびっくり。「なに一つ敵わない」母だった。
なぜこんなことに? 母、MRIを受ける
そんな母が78歳になって起ったのが冒頭の騒ぎ。
一体なにが起こったの?母の2回目の物忘れ外来に、私も同行した。
「そこの階段を上がって、右側に進んでいただき、その突き当たりが更衣室です」説明されるも、母は全く理解できない。すぐそばの階段すら見つけられない。
ようやく検査着に着替えて更衣室から出るも、もうどこから来たのかわからない。MRI検査終了後も更衣室に戻る道順は当然覚えていない。
不安で泣きそうな母。手をつなぐしかできない私。
初めてことの重大さに気づいた。
あんなにしっかり者だった母がどうして???
さぁ、どうする? わたしにできることは?
医師の診断は、「アルツハイマー型認知症」。
「明らかに脳が萎縮してます。記憶を司ると言われている海馬にも萎縮が見られます。萎縮の部位から、特に言語と記憶に影響が出てきています」。
心づもりはしていたものの、医師からはっきり告げられたときのショックは予想を大きく超えていた。
さらに別の意味で驚いたのは、母を前に、医師が「認知症」と言ったこと。
しかし、言われていることを母がきちんと理解できているとは思えなかった。
※ここに記載されている内容はあくまでも個人の体験であり感想です。
<プロフィール>
なかお わかこ
1965年生まれ。 家族は、夫と息子3人、犬2匹。弟。
主婦であり、酵母パンやマクロビ料理主宰、ウェブサイトの運営など。
父 脳内出血後、半植物となり、1年間の病院での療養を経て、69歳で他界(2004年)。
母 軽度のアルツハイマー型認知症発症。脳内出血で病院に入院。特養を経て2021年自宅で看取る 。