笑顔で介護! 特養〜自宅で看取るまで<第7回>私が介護する? それともリハビリ病院?

笑顔で介護! 特養〜自宅で看取るまで<第7回>私が介護する? それともリハビリ病院?

母の脳内出血部位は、左側頭葉と海馬。

言語、記憶、感情などに影響が出るといいます。

運動能力に問題はないそうです。

ということは、認知症が一気に悪化しちゃうってこと?

とにかく、少しでも母の脳に刺激を与えるため、毎日通って話しかけました。

母の介護と私の生活。心身共につらかった毎日

入院当初は、私のことも弟のことも認識でき、すぐにウトウトするものの、私たちが話しかければ、返事もしてくれていました。

しかし、それが日に日に反応が悪くなり、寝ている時間が多くなっていきます。

目を開いて、呼べば「はい」と小さい声で返事をするけれど、それ以外の反応はありません。

これは、脳内出血の影響による脳の腫れが原因で、通常の過程だと医師から説明を受けてはいたもののとてもつらい時期でした。

ピークは、発症から5日目~12日くらいだったでしょうか。

ほとんど、意識もなく寝たきりです。

それでも、とにかく毎日通って、話しかけます。

ほぼ寝ている母の『脳に刺激を与えるため』とはいえ、毎日通って話しかけるのは、正直、心身ともにしんどかったです。

心がつらいのはともかく、家から病院まで1時間半以上の距離です。

私には、夫と息子3人と犬との生活もあります。

そのうえ、母の家にものを取りに行ったり、片付けたり、ちょくちょく通っていましたから。

おかえり! おかあさん

本当に回復するの?

不安な気持ちがいっぱいのある日、それは突然やってきました!

入院して15日目、お見舞いに行ったら、母はしっかりと目を開けていて、

名前を呼んだら元気に「はい!」と返事したのです。

しかも笑顔で!

何がうれしかったって、この笑顔!!

やっと帰ってきたね!!!

おかえり、おかあさん!!!!!

話しかけると、ちゃんと返事はするのです。

とは言っても、ほとんど単語が出てこないので、

「そうよね~」ばかりですけれど。

それでもいい!

ちゃんと目を開けて、笑顔で 声が聞けた!

それだけでもう十分です。

CTで発見された2度目の脳内出血

脳内出血の場合、一般的には2週間くらいで腫れが引いて、その時点であれこれとテストをして今後の方針を立てるそうです。

しかし、母は思った以上に状況が良くなくて……

医師も、もっと回復が見込めると思っていたと話していました。

そんななか、なんと、再度の脳内出血!

(入院中の数日おきに撮る脳のCTで発見されました)

今回は、前頭葉。

前頭葉は、現代の医学でも役割がはっきりしていないといわれている部分です。

そのため、表面的には出血による症状がなく、もしCTを撮らなかったら、医師ですらわからなかったそうです。

ただ、短期間に2度も出血していることから、出血の原因はおそらくアミロイド系の物質が影響しているということが予測できました。

今後について相談しているのに

いずれにしても、あまりに言葉も出ず、認知機能が低下しているので、

医師からは、「今後は、体を動かして脳に刺激を与えるのが良いのでは」という提案がありました。

具体的にいえば、リハビリ専門病院に転院して、さまざまなリバビリをして回復を期待するということです。

今まで、何かあると全てケアマネさん相談していました。

しかし、一旦病院に入ってしまうと、相談するのは病院のカウンセラーに移ります。

そのときに感じたのは、「病院は回復していようがいまいが、退院させる算段なのね……」と思ってしまいました。私は今後について相談しているのに。

自分で看る? リハビリ病院へ転院?

どう頑張っても、2度と一人暮らしはできないだろう母。

かといって、この状況で私が引き取れる?

めちゃくちゃ悩みました。

今まで育ててもらって、親の世話をするのは当たり前だと思っていましたが。

一人では満足に座ることも食事をすることもできず、言葉もほとんど出ません。

感情のコントロールも効かないから、すぐに気分が変動して、何かにつけてすぐに私を罵倒します。

当時の私は、周りに介護をしている人がいなかったこともあり、介護に対する知識はゼロに等しく、調べようにもどうしていいのか全くわからず、途方に暮れていました。

そして結局、病院の提案通りリハビリ病院へ転院することになったのです。



ここに記載されている内容はあくまでも個人の体験であり感想です。

<プロフィール>なかお わかこ
1965年生まれ。 家族は、夫と息子3人、犬2匹。弟。 主婦であり、酵母パンやマクロビ料理主宰、ウェブサイトの運営など。 父 脳内出血後、半植物となり、1年間の病院での療養を経て、69歳で他界(2004年)。 母 軽度のアルツハイマー型認知症発症。脳内出血で病院に入院。特養を経て2021年自宅で看取る 。

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