「介護施設選びの体験談」を読んでいると、それぞれの家族にそれぞれの苦悩や葛藤を感じます。その多くは、「介護は家族がするもの」「できるなら自分で介護をしたかった」という思いから、ご家族を施設に入れたことを後悔したり、ご自分を責める気持ちが根底になっているようです。親はいつまでも元気なものと思っていても(実際にはそう思っていたい)、年齢は誰もが公平に重ねるもの、覚悟ができないうちに、突然、介護や介護施設選びは訪れます。
実際に、介護施設は多くのかたにとっての終のすみかになる可能性があります。であるなら、その場所で、当事者もそして家族も「納得できる最期」を迎えたいもの。千葉県八千代市で在宅療養支援診療所を開業、在宅医療専門医としてこれまで800人以上の最期に立ち会って来た中村明澄先生は、「生き方に正解がないように、逝き方にも正解はないが、ご本人と残される人たちにとっての『ベスト』はある」と言います。中村先生の著書『「在宅死」という選択――納得できる最期のために』(大和書房)(※)から、「納得できる最期」について考えます。
本記事は『「在宅死」という選択――納得できる最期のために』(大和書房)(※)の一部を抜粋、再編集しています。
「在宅死」という選択――納得できる最期のために
「納得いく最期」を迎えるための11の条件
条件11「「後悔しない死」を求め過ぎない」
■ 「生き方」にも「逝き方」にも正解はない
死に、完璧を求める必要はありません。どんなに一生懸命に生きていても、後悔が
まったくないという人はおそらくいないでしょう。もちろん完璧な人生を送れたらい
いですが、後悔のひとつやふたつは誰にでもあるものです。
生きていれば、日常的にいろいろなレベルの後悔がたくさんあります。たとえば、
ファミレスでものすごく悩んでメニューを選んだけれど、結局は友だちが頼んだもの
のほうが美味しそうだったといった小さな後悔から、大学受験の失敗や人間関係での
トラブルなどの大きな後悔までいろいろあるでしょう。
だから、死ぬときだけ後悔しないというのは、無理な話です。
これまで800名以上の方を看取ってきましたが、死に方にはその人の生き方があ
らわれるものだと感じています。
ご自分の最期をどう受けとめるかは、それまでの人生をどう受けとめてきたかによ
ります。最期まで「どうして自分ばっかりこんな目に……」と嘆く方もいれば、一方
で「病気のおかげで、こんなふうに娘が自分のために時間を作ってくれたわ」とおっ
しゃる方もいます。
■後悔も思い出の一部になる
ご家族の受けとめ方は、さらに後悔が伴いやすくなります。「もっとああしていれば、
こうしていれば」という気持ちは尽きないかもしれません。
それでも、そのときその瞬間に決めたことが、その時点のベストな決断だった――
そう信じられる力量こそが、実はいちばん大切なのではないかと思っています。正し
い逝き方に定義はないのですから、受けとめ方次第とも言えます。
同じ最期を前にして「最善を尽くせたな」と思えるのか、「くそぉ、何が悪かったんだろう」と後悔しつづけるかは、その人しだいです。
ただ、そもそも後悔することは悪いことではありませんし、めずらしいことでもあ
りません。自分ができるベストだったと信じて、後悔さえもいい思い出に変えてほし
いと思います。
感謝の気持ちや幸せに対する感度を高めておくのも、死と向き合う家族にとっての
大事な要素だと思います。
本記事は『「在宅死」という選択――納得できる最期のために』(※)の一部を抜粋、再編集しています。(大和書房)
今回がシリーズ最終回です。全11回、中村先生のご経験から見たさまざまな「納得できる最期」を紹介していただきました。読み終えた今、これらはまさしく中村先生のエールだったと感じています。人は誰でもいつかは人生の幕を下ろします。その日が送る側にとっても送られる側にとっても、納得できる最期でありますように。(介護カレンダー編集部)
医療法人社団澄乃会理事長。向日葵クリニック院長。在宅医療専門医・家庭医療専門医・緩和医療認定医。
2000年東京女子医科大学卒業。
2011年より在宅医療に従事。
2012年8月に千葉市のクリニックを承継し、2017年11月に千葉県八千代市に向日葵クリニックとして移転。
向日葵ナースステーション(訪問看護ステーション)・メディカルホーKuKuRu(緩和ケアの専門施設)を併設し、地域の高齢者医療と緩和ケアに力を注いでいる。
病院、特別支援学校、高齢者の福祉施設などで、ミュージカルの上演を通して楽しい時間を届けるNPO法人キャトル・リーフ理事長としても活躍。